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未来を築く高原から——西蔵自治区訪問記
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· 2025-08-21 · ソース:人民網日本語版 |
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拓殖大学教授 富坂聰=文
西蔵(チベット)のいまを、一言で表現するならば「建設」ほど適切な言葉はない。現地を訪れて、抱いた印象だ。
経済建設、エコ文明建設。折しも三峡ダムの3倍の発電量となるヤルツァンポ(雅魯蔵布)江下流水力発電プロジェクトも始まった。
私は6月の末、西蔵自治区を訪れた。多国籍の学者・ジャーナリストで構成される訪問団の一員だ。旅程は3泊4日である。
冒頭に述べた印象は、行く先々で、地面を打つ槌音が響いているように感じたからだ。
ニンティ(林芝)からラサ(拉薩)まで、今年成立60周年を迎える自治区を巡った。
霧に包まれた谷間のニンティ空港で出迎えてくれたのは地元の外事弁公室の面々と山肌に大書された「民族大団結万歳」の文字。そして不思議なほど首の長いタンポポの花だ。
動植物の揺り籠で仏教の聖地。そして長江、黄河などあらゆるアジアの大河の源流に位置するチベット高原の一角に立った興奮と高山病の兆候を見逃すまいとする警戒心が奇妙に同居する旅だった。
共産党肝いりの「脱貧困」政策
ニンティでは、メンリン(米林)市西嘎門巴村の住民で「脱貧困」に成功したペマテンジンさんの家を訪ねた。
一家は2003年、易地搬遷(扶貧移民)政策の第1段階の対象となり、かつては「高原の孤島」と呼ばれたメトク(墨脱)から移住してきた。猟師だったテンジンさんは西嘎門巴村で職業訓練を受け、現在は現場で建設機械を操縦している。
19年末、西蔵自治区に74あった貧困県・区、62万8000人が貧困を脱し、1人当たりの純収入は15年の1499元から9328元へと急増した。西嘎門巴村もこの波に乗り40戸140人の村は20年で74戸324人に膨らんだ。16年、「企業+党支部+大衆」モデルに従い起業にも成功。テンジンさんの収入も当然のこと大幅に増えた。
満足そうに現状を語るテンジンさんを眺めながら私の頭には40年前の記憶がよみがえった。初めて中国に留学した直後、学校の活動で北京郊外の農家を訪れ、そこに場違いなほど大きなテレビが置かれていた光景だ。
日本や欧米のメディアは中国当局が案内する場所を「プロパガンダ」と警戒する。
だが、今にして思えば、当時、当局が外国人に見せようとした風景は中国の未来そのものであった。「発展」の実証としての「豊かな農民」であり、政治が目指す目標だった。「豊かな農民」がまやかしだったのか否かは、その後の中国の発展を見れば明らかだろう。
つまり西嘎門巴村での光景がたとえショーケースの風景だとしても、一面の真実なのだ。
全国最高水準のGRP目標値
町の様子からも同じ感覚が伝わってきた。中国共産党が、何が何でも西蔵自治区を発展させてやろうと躍起になっているように私には見えた。
ニンティは、その格好のモデルケースでもあるのだろう。西蔵自治区を発展させるための政策が幾重にも折り重っているからだ。
例えば前述した扶貧移民だ。ルーツは都市化政策。15年からは精准扶貧(照準型貧困支援)だ。
ニンティを党中央が重視していることは、21年に習近平国家主席がニンティを訪問したのに続き、その2年後には王滬寧全国政治協商会議主席が西嘎門巴村のテンジンさん一家を訪れていることからも分かる。
ニンティの町の入り口には「党中央が西蔵を支持し全国が西蔵を支援することは、党中央の一貫した政策であり長期にわたり維持されなければならない」というスローガンが掛けられ、建設現場には「粤蔵合作」の文字が躍る。後者は1994年にスタートした広東省によるニンティ支援政策を示す。
ニンティからラサまではコロナ下に開通した高速道路を移動した。標高につれ山肌の植物が変わる山の表情とエメラルドグリーンにミルクを流し込んだような美しい河が目を楽しませてくれたが、中でも目を引いたのは長い稜線に沿って走る高圧線だった。
電力は「一市が一県を支援」する政策の下、5年前に最後の1㌔の送電網が完成した。山岳高地の送電網は建設自体難事業だが問題はメンテナンスだ。ドローンを駆使するとはいえ風雪、動物との闘いは過酷だ。私が、「躍起」と感じるのは、こうした点にある。
いま「建設」の洪水の中で、西蔵自治区の人々は満足しているのだろうか。その答えを3泊4日の旅で導くことは難しい。現地の人々と少し話した程度で分かるものではない。ただ、発展の手応えは確かなのだろう。
驚いたのは今年1月に発表された各省・自治区・直轄市の同年の域内総生産(GRP)目標値だ。西蔵自治区は「7%以上、目標は8%の達成」とした。実に全国最高水準だ。
チベット語で歌う『一休さん』
私は西側メディアが繰り返す中国に対するインスタントな批判には違和感を覚えている。公正さが欠落しているからだ。
西蔵自治区の宗教活動は国家が「正常と見なした範囲」を逸脱できない。憲法には信教の自由の条項(第36条)があるが、同時に「外国勢力の支配を受けない」と規定する。改革開放後の宗教政策を定めた「19号文件」でも、それは同じだ。
記憶に残ったのはジョカン寺(大昭寺)で現地のガイドが放った「ポタラ宮はダライ・ラマの冬の宮殿で政治の中心。大昭寺がチベット仏教における最も神聖な寺院です」という一言だ。「ダライ・ラマのゲルグ派はチベット仏教4大派閥のうちの一つで、権力と結び付いた最大派閥。だから全派閥の聖地は、この大昭寺なのです」と彼は語った。そして「こんな基本的な理解もなく記事を書く外国の記者が多い」と付け加えたのだ。
考えてみれば宗教とが一体化したダライ・ラマ政権とはどんな政治体制なのか。それすら日本では理解が進んでいない。
日本にもタブーはある。事実、ダライ・ラマに疑問符を投げ掛けることは勇気のいる作業だ。中国のプロパガンダに加担したと批判されかねないからだ。
結果、ダライ・ラマ以外の西蔵自治区は何も伝わらないまま日本人の記憶は止まっている。
「建設」の洪水の中にある西蔵自治区の人々が「豊かさ」を求めて繰り返す膨大な日常と、日本の報道とのを感じないわけにはいかなかった。
そしてもう一つ、忘れられない場面がある。
現地のガイドたちと食卓を囲み、日本のアニメで盛り上がったときだ。チベット族のガイドたちが一斉に『一休さん』の歌をチベット語で歌い始めたのだ。彼らは幼少期からチベット語で日本のアニメに接してきた。
こんな西蔵自治区を日本の報道機関は「チベット語を禁じた」と軽く言い放つのだ。
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